「刺身」と「さく」

桜田五輪相「がっかり発言」で考える“切り取り報道”の罪 TV番組制作スタッフの本音
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190218-00556881-shincho-pol

>「最近、新聞記事やSNSの書き込みを報道番組やワイドショーが紹介する際、全文を映したり、読み上げたりすることが主流になってきました。これはミスリードを防ぐという意味で、とても価値ある取り組みだと思います。あおり運転や教師の体罰を撮影した動画などにも、類似の問題が起きることがあります。動画のノーカット配信も検討が始まっており、今後は“編集をできるだけしない”で放送するのが主流になっていくと思います」


一日は24時間しかない。
睡眠、食事、トイレや風呂、仕事とか勉強とか、生きるためにどうしても必要な時間を除くと、自由に使える時間があんまない。
世界には膨大なニュースネタがあふれとるが、そのすべてをチェックすることは不可能。
誰かが収集、選択、編集してくれんと、どこにどんなネタがあるんか、そのネタにどういう意味が、価値があるんかもわからん。

誰かとは誰かちゅーとマスコミ。
個人では限界があるけん、マスコミがある。

こっちは時間が限られとるんぢゃから効率よく情報を収集したい。
全文紹介とかノーカット動画とか困る。
切り取って報道せんかいと思う。

「素材をそのまま垂れ流すなよ。
『全体』はいいからあんたらが重要だと思ってる『部分』を指し示しな。
知りたいのはあんたらの切り口」

なぜその素材が選ばれたのか。
どうしてそういう切り口になったのか。

そういうことを考えさせるのがマスコミの使命。

マスコミがミスリードを怖がって「編集権」を放棄するようなことしてどうする?
視聴者の批判を恐れるとかヘタレにもほどがある。

「切り取り報道」をやめたらマスコミは存在価値ゼロぢゃ。
「全文紹介」とか「逃げ」でしかない。

「ニュース」は「鮨」みたいなもんぢゃ。

鮨職人は客に鮨を提供する。
マグロを柵のまま出すやつはおらん。
「どうぞ、ご自分で切ってお召し上がりください」
それぢゃと鮨屋として意味がなかろ?
それと同じ。
マスコミがニュース素材をそのまま視聴者に出すって怠慢としか言いようがない。
横着せんでネタをちゃんと切って、酢飯と一緒に握って出さんかい。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

こどもを「戦いの場」に送り込むこと

小学生年代で1日7時間、深夜まで。卓球、フィギュアの練習に思うこと。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190217-00833510-number-spo

>国際サッカー連盟の研究機関による調査結果も記憶に強く残っている。その内容を端的に説明すると、一流と言われる選手たちはその域に達するまでに約10年で1万時間の練習をしていること。幼児年代にスタートを切った選手に、それより遅れて始めた選手は追いつくことはないということが調査結果として発表されていた。


今のスポーツ中継、特に卓球ってなんか痛々しくて見とられんのよなあ。
子供がなんで鬼みたいな形相して戦わんといかんのかなって。

本人はたぶん楽しくやっとるんよな。

「わたしは卓球が大好き。
大好きだからなにも苦にならない。
練習は全然つらくないし、試合は楽しい。
勝ったときは本当に幸せ」」

本人はそうなんぢゃろう。
そうなんぢゃろうけんど・・・
こっちはそう感じられん。

囲碁の最年少プロ棋士もそう。
あの女の子は楽しくやっとるんぢゃろうけんど、見る方は「どうしてこんな幼い子が見世物にされるかなあ」と思ってしまう。

歌舞伎は小さな子どもが舞台に上がるわな。
あれはなんとも思わんのよ。
勸玄君を見ても「かわいそう」とは思わん。

勸玄君は「かわいそう」に見えんのに、卓球選手や囲碁の女の子は「かわいそう」に見える。
不思議ぢゃ。
なんでぢゃろうな。
なにが違うんぢゃろう。

後者はなんとなく搾取感があるんよなあ。
アイドルとおなじで、大人に都合よく利用されとる感じがする。
子供の意欲に付け込んどる大人の顔が透けて見え、で、「かわいそう」
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

失楽園

10代前半フィギュア女子、過熱するジャンプ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190216-00010000-jij-spo&p=1

>軽くて跳べていたところから、少しふくよかになるとバランスが悪くなって跳べなくなるケースが多く、メンタル的にも変わっていく時期をこれから迎える。


フィギュアってレスリングや重量挙げのように「体重別」にせんと不公平よな。
ジャンプは体重の軽い方が有利なんぢゃから。

体重が軽い≒年少

フィギュアは得点に占めるジャンプの割合が高い、いわば「ジャンプ至上主義」ぢゃから10代前半の子が活躍できるわけぢゃ。

フィギュアはかなりいびつな競技。
ジャンプ至上主義をやめてジャンプの点数を下げるか、体重階級制にするか、そうせんとフェアぢゃないし、10代の子の負担が大きくなる。
今のフィギュアは「若さが最大の武器」ぢゃから競技者は使い捨て。
二十歳前後になったら楽園を追われる

「さようなら。
キミはもういい。
体が大きくなりすぎた。
わたしたちが求めているのは女の子であって女ではない。
フィギュアの世界では成長は悪なんだよ。
ずっと子供のままでいて欲しかったが、キミは大人になってしまった。
残念だ」

10代の子を食い物にして、スケート連盟は鬼ぢゃと思う。

author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

「弱者」と「強者」

NHK「最後の良心」に異常事態 「ETV特集」「ハートネットTV」の制作部署が解体の危機
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190215-00010001-bfj-soci

>「文化・福祉番組部は、権力や権威になびかず弱者の視点にこだわり、NHKのテレビジャーナリズムを守ってきた。局内でも『ドキュメンタリーの牙城』『最後の良心』と言われている。なかには快く思っていない人もおり、これまでも度々、上層部と対立してきた」


「ハートネットTV」は結構見るけんど、あの番組を見とると「弱者ってなんなん?」って思う。

強いか弱いかは絶対的なもんぢゃない。
ゲームに例えると。
戦闘レベル100のキャラクターは強いぢゃろうか、弱いぢゃろうか?
答えは「どちらとも言えん」

レベル100のキャラはレベル1のキャラと比べれば強いと言えるけんど、レベル200よりは弱い。
強いか弱いかは比較によって決まる。

絶対的な「弱者」っておらんのよな。
人は他者との関係において「弱者」にも「強者」にもなる。
「弱者」「強者」は相対的なもん。

障害者や心身に重い病気を抱えとる人、性的マイノリティー、高齢者、家族とか近しい人から虐待を受けとる人、在日外国人、貧困などによる生活困窮者等々は一般的に「弱者」とされとるけんど、比べる相手によっては「強者」ぢゃ。
わかりやすいのは乙武ぢゃな。
あの人は生まれつき手足がなくてむっちゃ苦労しながら生きとるはずぢゃが、ある種の人間の目には「強者」に映る。

「わたしより恵まれてるじゃないか。
なにが弱者だ。
わたしは社会の最底辺で這いつくばって生きてるんだぞ。
わたしよりよっぽどいい生活をしてるのにどうしてあなたが弱者なんだ。
あなたよりわたしのほうがずっと弱者だ。
あなたの何倍も、何十倍も弱者だ!」

これに対して乙武がなんと言うたかちゅーと。


乙武洋匡「私の意見は障害者の総意じゃない」
https://toyokeizai.net/articles/-/159579?page=6

>乙武:もう私からしたら、「だったら、なればいいじゃない」のひと言ですね。そんなに弱者を強者だとうらやむなら、「実際にその立場になってやってごらんよ」と。たとえば私を強者だとうらやむのなら、「どうぞ、手足を切り落としてみてください」と。それで本当に「どうだ、これで強者だぞ」とドヤ顔できる自信があるなら、どうぞやってみてください。誰も止めませんよ、と。


社会には絶対的な弱者も絶対的な強者もおらん。
視点を変えれば弱者は強者になるし強者も弱者。
人間だれしも「弱者」と「強者」の両面を持っとって、どちらか一方だけちゅー人はおらん。
ぢゃけんど、案外それに気づかんもんで。

「ハートネットTV」はそういうこと考えさせてくれるんでええ番組ぢゃと思うんよな。
まあ、腹の立つことも多いけんど。

制作部署が解体されると方針みたいなもんが変わって番組の方向性自体変わるんかな。
それは残念ぢゃな。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

「死ぬほど怖い! 他人の心理大事典」

・死ぬほど怖い! 他人の心理大事典
齊藤勇監修 宝島社

読了。

考え事をする時、人は上を見る。
何かを思い出そうとする時もやっぱり上を見る。
なんで視線を上に向けるかちゅーと情報を遮断するためぢゃそうな。
視界にいろいろなもんが入ってきたらそっちに気を取られ、思考や記憶の糸を手繰る作業に集中できん。

心理学の本によう書いてある。
「人は嘘をつくとき、右上を見る」とか。
この本にもそうあったけんど。

ウソを考えるときに上を見るのはわかる。
が、「右上」ちゅーのがどうにも納得いかんなあ。
「右上」だけ見とってウソがつけるんぢゃろうか。

なにかを作るには「材料」が必要ぢゃ。
なんでもそう。
「ウソ」も例外ぢゃない。
ありもせん話をでっち上げるには元になるもんが要る。
作り話の元になるのは何かというと「事実」

人が「ウソ」を考えるときって、記憶をたどって「事実」に当たるんぢゃないかの。
真実味のあるウソをつくには、事実からかけ離れてはならん。
事実に基づかんウソは辻褄の合わんもんになり、相手にすぐばれる。

思い出しては考え、考えては思い出し・・・
記憶の照会と思考を繰り返してはじめて「説得力のあるウソ」「上手なウソ」ができる。

人がウソをつくときって脳がむっちゃ活発に動いとるけん、それに合わせて視線もせわしなく動いとりそうなもんぢゃが。
なんで右上固定なんよ?
author: 匿名希望
読了memo | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

威嚇

さすがにデカすぎ!? グリルが大きい“ドヤ顔”車 なぜ急増? その思惑とメリット
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190213-00010000-bestcar-bus_all

>威圧感を伴う大きなメッキグリルを採用したドヤ顔になれば、軽自動車か登録車の小型車か見分けがつきにくくなる。それによって嫌がらせのような被害を受けずに済む安心がもたらされるだろう。


あおり運転の被害にあいやすいのは軽自動車やコンパクトカーぢゃそうな。
体が小さくて弱そうに見える子がいじめのターゲットになりやすいのと同じぢゃな。

最近のフロントグリルはホンマいかめしい。
道を走っとる車を見るとどれもこれも凶暴な顔つきぢゃ。

あれは他の車を威嚇しとるんぢゃな。

「ぼくに近づくな。
近づいたら咬みついちゃうぞ。
痛い目にあいたくなかったらあっちに行け」

猫が毛を逆立て、フーと鳴くのと一緒。

消費者がでかいフロントグリルの車を求めるのは自分を大きく見せるためぢゃな。
「なめられたらやられる!」

author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

特権

「バイトテロ」は訴えても抑止できない、3つの理由
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190212-00000020-zdn_mkt-bus_all

>なぜか低賃金・低待遇で働く若者たちだけが、「悪ふざけ」をするのだ。


若いから悪ふざけをするんよな。

若い=社会経験が少ない=痛い目にあっていない=怖いもの知らず

学生とか若いバイトは怖いもの知らずぢゃから暴走する。

おバカな映像を撮って投稿するのは、単純にそれが面白いと思うとるから。
「テロ」ちゅーのは「思想」があるけんど、彼らの行動に「思想」はない。
自分がおもしろいと思い、観た人がおもしろがればそれでええ。
それ以上のことは望んどらん。
社会を変えたいとかそういう「大義」がないんぢゃから、彼らのやっとることを「テロ」というのは間違っとる。

「ただただ今をおもしろおかしく過ごしたい。
毎日お祭り騒ぎをしたい」

彼らの頭の中にあるのはそれだけ。
彼らは「今この瞬間」を生きとる

ぢゃからいくら給料を上げても止めることはできまい。

「お金をあげるから我慢しなさい」

我慢するわけないわな。
暴走族に「お金をあげるから暴走行為をやめなさい」ちゅーてもやめんぢゃろう。

若い人は有り余るエネルギーのぶつけどころがわからず暴走するんで金も理屈も通じん。
なにをどうやっても抑止は無理ぢゃろう。

「悪ふざけ」は若者の特権みたいなところがある。

「まあまあ、そう目くじらたてないで。
若いんだから大目に見てやりましょうよ。
わたしも彼らと同じくらいの年の時はやんちゃをやったもんです。
あなたもそうでしょ?
ここはひとつ寛大に」

若い人は暴走しても「未熟」であることを理由に最終的には許される。

「まあ、若いから仕方がない」

それに対し不満を持っとる人(≒ジジババ)がおる。

「あいつらを許すな!」

若い人からするとジジババは特権階級ぢゃろうけんど、ジジババからすると若い人は特権階級。
「若さ」という自分にないものを持っとるのがどうにも癪に障る。

「若いやつらはズルイ!
あいつらの特権を奪い取ってしまえ!
あいつらを甘えさせるな!」

ジジババ(≒消費者・客)を敵に回すと厄介ぢゃ。
会社としてはやらしたバイトをパージせざるをえん。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

電話に出んわ

「若者は電話に出ない」問題。20代と40代、双方の言い分は?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190211-00117250-bizspa-life

>「ネットなどを見ると『電話は相手の時間を奪うツール』と、堀江さんたちの意見をさも自分の考えかのように言う若者も多く、僕の友人にも「電話とかまじムダ」と話す人もいて。正直『お前らレベルが何言ってんの?』とは思います。


今のほとんどのテレビ番組には字幕がある。
お笑い番組にさえある。
芸人の発するギャグやジョークは全部文字になって画面の下に出とる。
視聴者は芸人のしゃべりにはほとんど耳を傾けておらず、字幕を読んで笑っとる。

現代人は「人の話を聞く力」が落ちとる。
聴力は特に問題ない。
話は聞こえとる。
が、聞こえることと聞きとることは別。
聞きとらねば内容を理解することはできん。

現代人は聞く力が落ちとるから電話に出とうない。
聞き間違いが怖い。

「いつだって自分だけは絶対に正しい。
間違ってるのは常に他人だ」

自己愛が強すぎると「自分は正しい病」にかかる。
「自分は正しい病」にかかると間違えることを、失敗を極度に恐れるようになる。
間違うことが怖いから電話に出られん。

「聞き間違えたらどうしよう。
聞きとれなかったらどうしよう」

電話で「人の話を聞く」ちゅーのはむっちゃ神経を使うよの。
会話中は耳に全神経を集中しとって、受話器を置いた瞬間、緊張から解放され、ふうと大きなため息をつくことさえあるほどぢゃ。

電話は相手の表情が見えんし動作やしぐさもわからん。
目から入る情報はゼロ。
耳だけが頼りぢゃ。
が、その肝心の「耳」に自信がない。
自信がないけん、「できれば避けたい」

「電話は疲れる。
電話で相手の話に耳を傾けてると神経がすり減る」

大事なのはあくまで自分。
相手のことは二の次。
他人のために自分がつらい思いをするなど論外。

「わたし、電話に出ないからね。
疲れる。
だからかけてこないでね。
わたしに苦痛を与える人間は敵です」

ネットやテレビの影響で視覚情報を過度に頼るようになった。
使わん能力は退化する。
「目」ばっか使って「耳」をあんま使わんから「聞く力」が低下。
「聞く力」とは「コミュニケーション能力」
コミュニケーション能力が落ちとるから電話に出ん人が増えとる。
そういうこっちゃな。

ちなみに。
電話は自分からかけるぶんにはええけんど、かかってくるのは苦手ちゅー人結構おる。
自分からかける電話の主導権は自分にあるけんど、かかってくるやつは相手にある。
相手に主導権を握らせんために自分の方からかけ直す人間、わしの身近にもおる。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

食事を残す人

日本人はもっと「食事を残す勇気」を持ってもいい!?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190209-00015916-nallabout-hlth

>「残してはいけない」という美徳や、料理・食材に関わる方への感謝を持つことは大切ですが、食べた人が美味しく楽しく食事をしなければ、それらの考え方も本末転倒です。


「食事を残す人」とは一緒に食事をしとうないなあ。

わしの身近におる「食事を残す人」は。

食事を残す

食後すぐに腹がへる

お菓子をむしゃむしゃ

知り合いの「食事を残す人」はいつも腹をすかせとるわ。
で、「小腹がすいたー」ちゅーて始終口になんかいれとる。
間食ばっかしとる。
けじめがない。
まるで子どもぢゃ。
ちょっとは「我慢」ちゅーのを覚えんかい!

間食をするから食事のときはお腹いっぱい。
腹がすいとらんのぢゃから何食っても美味しく感じん。
当たり前ぢゃな。
あれが不味い、これが不味い、食事の間中、ずーっと文句を言っとる。
挙句の果てに「もう食べらない」と残す。

残すから腹がへる。
腹がへるから間食をする。
間食をするから食事をおいしく感じられない。
おいしくないから残す。
残すから腹がへる。
腹がへるから・・・

ループぢゃ。

「食事を残す人」って食事に文句ばっかつけて実にまずそうに食うんよなあ。
あれが嫌でたまらん。
黙っとれ!と思う。
こっちをおいしいと思いながら食っとるんぢゃ!
あんた、わしに喧嘩売っとるんか!

一緒にメシを食うと非常に不愉快な気持ちになるんであの人とは食いとうないんぢゃが・・・食わんといかんのよなあ・・・
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

まんが日本作りばなし そらへの憧憬

「幻の魚」日本海で次々=リュウグウノツカイ−専門家「地震とは無関係」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190209-00000038-jij-soci

> 今年に入り、「幻の深海魚」とも言われるリュウグウノツカイが日本海側で相次ぎ見つかっている。


人間が宇宙を―地球の外の世界を目指すように、リュウグウノツカイは海の外の世界を目指すんよな。

海底で何不自由なく暮らしとるリュウグウノツカイ。
そこに上からなにか(海上の深海調査船から降ろされた無人探査機)が降りてくる。

光の届かぬ闇の世界の住人であるリュウグウノツカイにとって探査機が放つ光は非常に魅力的。

「これはいったい・・・」

真っ暗な空間を見上げるリュウグウノツカイ。

「なぜこんなものが上から・・・?」
「上になにかあるのか?」

この上に自分の知らない世界がある。
闇の向こうに自分が生きるこの世界とは全く別の世界がある。
行ってみたい。

リュウグウノツカイは冒険の旅に出る。
勇気一つを友にして。


みんなのうた 勇気一つを友にして うた 山田美也子
https://youtu.be/xQ930Dqyx4w
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

守る 守られる

『永遠平和のために』と徴兵制――三浦瑠麗『21世紀の戦争と平和 徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190208-00563191-bookbang-soci

>アメリカでは兵力不足からベトナム戦争時に徴兵制が拡大したが、皮肉にも、それは反戦運動に拍車をかける契機となり、志願兵制へと移行した。以後、軍と社会(民意)の乖離は決定的となった。冒頭で紹介したイラク戦争時のエピソードはまさに「血のコスト」への想像力の欠如とそれがもたらすリスクの甚大さを危惧するものだった。


日本でも徴兵制を導入したほうがええかもしれん。
いま徴兵制を導入しようとしたら、当然女性もその対象となろう。
男にだけ兵役の義務を課すのは「差別」ぢゃ。

こういう言い方しちゃなんぢゃが、戦争って女が生み出すんぢゃなかろうか。

女は弱い。
いや、自分でそう思い込もうとしとる。

「わたしたちはかよわい存在。
男の役目はわたしたちを守ること。
強い者が弱い者を守るのは当然でしょ?
さあ、守って!」

で、女は「強い男」を求める。
「強い男」というのはだいたい「攻撃的」で「好戦的」
「強い男」は「危険な男」ぢゃ。
ヒトラーを熱狂的に支持したんは女ぢゃそうな。

女は戦争が起こっても自分たちが戦場に駆り出されることはないと思うとる。
自分の命が危険にさらされることなどないと思うとる。
ぢゃから気楽に好き勝手を言い、目の前にあるもんに飛びつく。

平和を脅かすのは女ぢゃなかろうかな。

「わたしたちは守られるべき存在。
戦争なんてわたしたちには関係のないこと。
女性が最前線に送られることはない」

女は頭の隅っこのほうで「自分たちは守られて当然」と思うとる。
女にとって戦争は遠くであることであり、一種の「ファンタジー」
この当事者意識の欠如が平和を危うくする。

徴兵制にして女にも兵役を課せばええんよな。
そうすると戦争を他人事ではなく、自分のこととして考えざるをえんようになる。

「なにかあったら自分も戦場に立つんだ?
わたしの体も機関銃の弾を受けてボロ雑巾のように、ズタズタに引き裂かれるかもしれないんだ?」

今よりずっと平和の意識が高まろう。

author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

陰と陽

ロフト、バレンタイン広告を擁護する男性の「お呼びでない」感
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190207-00010005-wedge-soci

> 毎回思うのだが、女性をターゲットとする広告に女性が批判や困惑の声を上げたとき、出しゃばって擁護する男性は一体どういう心境なのだろう。


難しく考えることはない。

男にとって女は敵。
敵の「敵」に味方するのは当然やん?
女が黒といえば男は白というし、女が否の立場をとるのなら男は賛につく。
お呼びでなくとも男は女の反対側に立つ。

陰陽で考えると女は陰で男は陽。
女と男は相反する性質を持っとるから反発しあう。
まるで水と油ぢゃ。

その一方で惹かれあい、求めあう。
磁石のN極とS極のように。

反発しあいながら惹かれあう不思議。
この世界を作ったやつは―「神」はおもしろいやっちゃな。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

なぜ種明かしをするのか

なぜうな重は「松竹梅」のうち「竹」が最も売れるのか
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190206-00191417-diamond-bus_all

> 弁当屋で並弁当(480円)と上弁当(680円)の2種類を販売すると半々売れる。ここに特上弁当(980円)を加えた途端、上弁当(680円)が一番売れるようになる。


「松竹梅」のうち「松」は「おとり」なんよな。
「竹」と「梅」、選択肢が二つぢゃと、どちらかといえば「梅」のほうが売れる。

店としては「竹」のほうが儲けがデカイんでこっちを客に買わせたい
そういうとき、「松」をつくって「竹」の横に並べ、「松竹梅」とする。

「松」は「竹」を選択させるための「おとり」ぢゃから別に売れんでもええ。
客が「松」を選ばんことはわかっとる。

実際のとこ、「おとり効果」でほんまに客を誘導できるんぢゃろうかな。

「わたしたちはこうやって客を自分たちの売りたいものへ誘導してるんですよ〜」

マーケティングの人間が自分の手の内を明かすかの?

こうやって明かすのは、「おとり効果」が効力を失いつつあるからぢゃなかろうか。
本屋に行っても行動経済学の本はいっぱいあって、消費者にこの手法は既にばれとる。

単純な「おとり効果」はもはや古い手法ぢゃからこうして公開するんぢゃないんかな。
マジシャンが古くなった手品の種明かしをするようなもんぢゃ。

「このマジックは流行遅れでもうやることはないだろうから種明かししても問題ないな」
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

心機一転

「こんまり」にアメリカ中が熱狂するのはなぜか
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190205-00263802-toyo-bus_all

>「ショーの視聴者は自分たちも出演者たちと同じようによりよい自分になれると感じ、自信を持つことができる」(ウェブメディアMedium)、「自分たちの家だけでなく、自分たちをも最適化できる。自分をとりまくすべてがときめきを感じさせてくれるような世界を作ることができる」「自分の人生はコントロールすることができるのだという幻想を抱かせてくれる」(Vox)。人が誰しも持っている「変身」欲求を刺激し、誰でも簡単に「変われる」と思わせてくれるということだ。人が自ら動くようにエンパワーし、勇気づけるポジティブさが大きな魅力となっている。


散らかった部屋を片付けた後って、大げさに言えば自分が変わった気がするんよな。
「わたしは片づけをやりとげた!」
達成感は自信につながる。

環境が変化すると自分も変化したように感じるもんぢゃ。

就職や進学で実家を出て独り暮らしを始める。
旅に出る。

そういうのと同じ。

「日常」の外へ飛び出すと人間誰しも思う。
「わたし、ちょっと成長した?」
自分が一回り大きな人間になったような。

「散らかった部屋」は「日常」
「綺麗に片付いた部屋」は「日常」の外の世界、「非日常」

部屋を片付けるのって簡単なんよな。
それを維持するのが難しい
ダイエットと同じ。
体重を落とすのは比較的簡単ぢゃけんど、ダイエットに成功した後、その体重や体型をキープするのは骨が折れる。

ぢゃから女はダイエットを繰り返す。
目標を達成したら安心してぱくぱく食って元の木阿弥。
で、またダイエット。
痩せては食い、太ってはダイエットに励み、痩せて太って痩せて太って・・・延々と同じことやっとる。

「非日常」を「日常」にするのは大変ぢゃ。
人間、どうしても自分に甘くなる。
「ま、これくらいいっか」
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

ルールと世界観

【平成の事件】佐世保・小6同級生殺害「普通の子」と凶行の落差埋まらず 今も解けぬ心の闇
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190204-00010000-nishinp-soci

>「人を殺すことは悪いことですよね。悪いことをしたら謝りますよね。謝罪がないのは、まだ更生していないのではないかと思います」


なんで人を殺すことは「悪」なんぢゃろうな?

小学生とか中学生に「どうして人を殺してはいけないの?」と聞かれたとするやん。
そのとき、その問いに答えられる人っておるんぢゃろうか。

「社会でそう決まってるから。
ダメなものはダメなんだよ。

ゲームと同じだ。
ゲームの世界にルールがあり、わたしたちが住むこの世界にもルールがある。
わたしたちは『人殺しは悪』というルールを受け入れ、社会の中で生きている。

余計なことは考えるな。
ルールが世界を形作ってる。
ルールに疑問を持つんじゃない。
世界が崩壊する」

たとえばそんな返しをして質問のした子が納得するぢゃろうか。
たぶんせんわな。
頭は納得するかもしれんけんど、心が納得せん。

頭で理解するのと心で理解するのは別。
「人を殺すことは悪いこと」、それは頭ではわかっとる。
でも心ではようわからん。
なんかもやもやするもんがある。

そういうことってないかの。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

あ行

ミシシッピー・バーニング 愛と死の間で コーラスライン ストリート・オブ・ファイヤー