スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

author: スポンサードリンク
- | permalink | - | -
 
 

荒くれ者の証し

イレズミが日本でNGなのはなぜ?明治以前は一般的だった意外な歴史
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190228-00195415-diamond-soci

>「江戸時代には刑罰として顔面や腕に刻まれることもありましたが、徐々にイレズミはとびや火消し、飛脚など肌の露出が多い職人に好まれる身体装飾となっていき、数度の規制にもかかわらず、幕末には大流行します」


肌の露出が多い職種ちゅーのは言葉を変えれば肉体労働。
入墨って肉体労働者がするもんぢゃったんよな。
肉体労働者ちゅーのは気性が荒いもんぢゃ。

腕に自信のある、気性の荒いやつが仲間に自分の勇気や力を誇示するために入墨をいれたんぢゃな。
入墨をいれるのは痛い。
「入墨」は猛烈な痛みに耐えたことを意味する。

「ゴクリ・・・す、すげえ・・・」
「こんなのたいしたことねえよ」

入墨は、それを見た人間をビビらせるのが目的。

(こいつにはかなわねえ・・・)
(フフフ、勝ったな)

入墨はマウントの道具ぢゃ。

入墨はエリマキトカゲのえりまきみたいなもんで相手を威嚇するためのもの。
威嚇されりゃ誰だって不快な気持になる。

入墨は自分が見るためではなく、人に見せるためにいれる。
背中の墨なんて絶対に自分の目で直視できん。

自分が見んものをこっちに見せようとするのが嫌。
押しつけがましい
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

ホリデーブルー

GW10連休、企業に警戒感 ATMの現金不足や小売店の人手確保、深刻化のおそれ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190227-00000505-fsi-bus_all

> ゴールデンウイーク(GW)の10連休まであと2カ月に迫り、企業の警戒感が強まってきた。一斉休業でお金の動きが滞ればATM(現金自動預払機)の現金や釣り銭が不足する恐れがある。小売店ではアルバイト従業員が相次いで休暇を取り、人手不足が一層深刻化しそうだ。市場の混乱やサイバー攻撃の懸念もあり、企業は対応に追われている。


自殺は月曜に多い。
休みのあとは気分が落ち込むもんぢゃ。

休みは危険。
休み明けの憂鬱な気分は誰もが経験しとるはず。

「ああ・・・また仕事がはじまるのか・・・」
「学校行きたくない・・・」
「昨日までが楽しかっただけに今日からのことを考えると余計憂鬱になるよな・・・」

野球で例えると。
雨で試合が1時間中断して緊張感が切れたピッチャーの心境。

「今日は立ち上がりから調子がよかったんだけどな・・・
ボールのキレもコントロールも今年一番で全然打たれる気がしなかったんだが・・・

雨がやんでももうマウンドにあがりたくないな・・・
すっかり体が冷えてしまった・・・」

休みが長くなれば長くなるほど休み明けの気分の落ち込みは大きくなる。
ゴールデンウィーク明け、夏休み明け、正月休み明け、長期の休み明けに自殺者が多いのはわかるわな。

今年のゴールデンウィークはかなり長い。
正直長すぎる。
10連休とか正気の沙汰とは思えん。

今年は例年以上の自殺者が出るんぢゃなかろうか。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

足の大きい子は背が伸びる

ティラノサウルス類の新種発見、人間サイズ、Tレックスまで短期間に巨大化か
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190226-00010000-nknatiogeo-sctch

> 白亜紀の初期のティラノサウルス類は、私たちが今日思い描く強大な恐竜とは似ても似つかぬ姿だった。当時は、自身よりはるかに巨大な肉食恐竜であるアロサウルスの横にくっついて狩りをする、取るに足らない小さな捕食者だった。8000万年前までに、北米のアロサウルスが衰退するのに伴い、ティラノサウルスは約10倍に巨大化した。その結果、アロサウルスに代わり、王座を華々しく独占するようになる。

 しかし北米大陸では、白亜紀中期の化石が見つかっていないため、ティラノサウルスが巨大化した過程は依然として謎に包まれている。北米では、いくつかの歯の化石を除き、約1億5000万年前〜8000万年前のティラノサウルス類の骨格化石が発見されていなかったのだ。


ティラノサウルスが巨大化したのは地球の重力が関係しとると思うんよな。

体を巨大化させるには太い大腿骨が必要ぢゃ。
頑丈な脚ぢゃないと体重を支えられん。

ティラノサウルスはどうやって丈夫な大腿骨を手に入れたか。
白亜紀に何かがあって地球の重力が増大したんぢゃなかろうか。

宇宙に長期滞在した宇宙飛行士の骨はすかすかで筋肉もむっちゃ減少しとる。
地球に帰還した宇宙飛行士は自分の足で立つことすらできんわな。
なぜこんなことになるのか?
宇宙ステーションの中は無重力。
重力がないと骨も筋肉も成長できん。

と、そのことを考えるとぢゃな。
どうしての重力が関係しとるとしか思えんわけぢゃ。

ティラノサウルスの脚の骨と筋肉を大きくしたのは「地球の重力」としよう。
ティラノサウルスの大腿骨は地球の重力の増大に合わせてどんどん成長。
大腿骨が大きくなるに従い体も大きくなり白亜紀の王者にのぼりつめる。

一方、アロサウルスは重力の変動に対応できんかった。
体がデカイのが命取り。
重力が強くなるとそれだけ負荷が増す。
地球の重力が増大するにしたがい脚への負担が大きくなり、ついに・・・

ティラノサウルスとアロサウルスの違いって環境に適応できたかどうかぢゃと思うんよな。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

ひとりでいることを苦にしない子

一人っ子は寂しいから2人目を産んだ方が…と言われた漫画に「決めつけないで」と怒る声
http://news.livedoor.com/article/detail/16070483/

>一人っ子というと『寂しい』と決めつけられることが多いのですが、一人っ子自身は意外と寂しいと思っていないこともある


甥っ子が一人っ子ぢゃけんど。

一人っ子って傍目には寂しそうに見えるんよな。
いつもポツンと1人ぢゃからなんかかわいそうで、こっちはほっとけんような気持ちになる。
で、つい構う。
いろいろ話しかけたり。
でも本人は寂しさを感じとらんかったりする。

人間は自分を基準にして考える、

「自分がこう感じているのだから相手もきっとそうだ。
人間はみな同じ。
自分と他者に違いはない」

と。

けんど・・・

一人っ子は生まれたときからずっと1人。
1人でおることが当たり前。
ぢゃから見た目と裏腹に案外けろっとしとる。
一人っ子が「ひとり遊び」をしとるのを見ると「寂しそう」と思うけんど、当の本人はいたって平気と。
寂しそうに見えるからちゅーて寂しいとは限らんのよな。

寂しそうに見えても寂しさを感じとるとは限らんし、明るく元気にふるまっとっても元気とは限らん。
人間って難しい。
表面にあらわれることだけ見てもその人の心を推し量れんのよなあ。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

「神」と「人」

三波春夫の「お客様は神様です」をはき違えるクレーマー
http://news.livedoor.com/article/detail/16066683/

>“お客様は神様です”という言葉も、お客はエラいんだから何をしてもいいと勘違いされがちですが、本来の意味はまったく違うんですから


客って神様ぢゃないんよな。
神様は店側。

神社に行って賽銭箱にお金を入れるのは誰かちゅーと「参詣人」、つまり「人間」ぢゃ。
「神」はお金をもらう側であって、出す側ぢゃない。

それとおなじ。
スーパーに行ってお金を払うのは誰か?

スーパー・・・「神社」
客・・・「参詣人」
スーパーで扱っている商品・・・「ご利益」
レジ・・・「賽銭箱」
お金・・・「お供え」

↑こう置き換えればわかりやすかろ。
「お客様は神様です」って間違いなんよな。

「神様」は客側ではなく店側ぢゃが、だからというて店側がエラいわけぢゃない。
願い事を叶えてくれん神様は参詣する人が減って潰れてしまう。
神様は人間に見放されたらおしまいぢゃ。

神と人、どっちがエラいわけでもないんよな。
「対等」ぢゃ。
人がおらねば神は存在できんし、神のおかげで人は便利な生活を送れる。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

男のマウンティング

バイトテロも青春の1ページ!? 世のバカ男子を減らす活路は「ギャハハ女子」にあり
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190223-00014547-jprime-ent

>バカ男子を一撃でシラけさせるには、いつの世も女子の冷たい目線が一番効く。


言うちゃなんぢゃが、あんま効かんのよなあ。
男は女に見せるためにおバカなことをやっとるんぢゃないけんの。
男がバカをやるのは「仲間」に見せ、「おまえってホント底抜けのバカだな・・・・」と呆れさせるためぢゃ。

女は知らんけんど、男の場合、「バカ」は時に最高の「褒め言葉」となる。

バカなことをするのは勇気が要る。
「バカ」って言葉を変えると「勇気のあるやつ」「度胸があるやつ」なんよな。
「度胸があるやつ」は仲間内で一目置かれる。

いわゆる「バイトテロ」は「度胸試し」
自分の度胸を仲間に示すためにあえて危険なことをする。
学生のバイトが無茶をやるのは、小学生が高い木の上から飛び降りて友達に自慢するのと同じ。
「どうだ、すごいだろ!」

少しでも相手より優位な立場になるために危険を冒す。
大けがをしてもしょうがない。
相手になめられるくらいならケガをするほうがマシ。

男がバカをやるとき意識しとるのは男の目、友達の目、仲間の目。
女に冷たい目で見られてもこたえんし、こたえんどころかむしろ快感を覚える。

「男には男の世界があるんだよ。
女にわかってたまるかよ。
あっちに行ってろ」
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

健康を害する恐れがあります

「小中学校スマホ持ち込み禁止」の見直しに覚える強い違和感
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190222-00194840-diamond-soci

> 小中学校へのスマホの持ち込みは、2009年の文科省の通知で原則禁止とされています。ところが昨年の大阪北部地震の際に児童・生徒の安否確認に時間がかかった教訓から、大阪府が今年4月より携帯の持ち込みを許可する方針を立てました。


スマホって体に悪いんよな。
スマホ依存症やスマホ老眼が問題になっとる。

健康を害する恐れのあるもの、たばこや酒には年齢制限がある。
二十歳未満は喫煙も飲酒も禁止ぢゃ。

なぜスマホには年齢制限がないんぢゃろう?
不思議よな。

これはスポーツにも言える。
スポーツは健康を害する恐れがあるにも関わらず規制がない。
規制がないどころか「スポーツは健康増進に役立ちます!」、国は国民にスポーツをやらせようと必死ぢゃ。

スマホやスポーツって子供たちの健康を第一に考えるのなら二十歳未満は禁止せんといかんと思うんよな。
たばこや酒と同じように、成人になって自分の責任でやるかやらんか決めさせるようにせんとおかしい。

「健康を害する恐れがありますよ。
今すぐどうこうなるわけじゃありませんが、将来、体のいろいろな箇所に重大な機能障害が出る可能性があります。
もしかしたら精神を病み、社会生活を送れなくなるかもしれません。
それでもあなたはやりますか?」

世に「健康教」がまん延しとる。

「健康は正義。
不健康は悪。
悪をぶっつぶせ!」

「健康教」の信者たちはなぜ声をあげんのかな?
たばこや酒では大きな声をあげるのにスマホやスポーツはだんまりを決め込む。
変。

飲酒や喫煙は20歳から。
自動車の運転免許は18歳にならんととれん。
スマホも社会全体のことを考えると年齢制限を設けたほうがええような。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

スポーツは危険

高野連が新潟独自の球数制限実施に“待った”の賛否
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190221-00010000-wordleafs-base

>大事なのは子供たちの将来


サッカーのヘディングは脳に悪影響があるそうな。
一回ヘディングをしたからちゅーて今すぐどうこうなることはないけんど、練習や試合で繰り返しやっとると自律神経に障害が出たり記憶力が落ちたり、将来的に脳になんらかの問題が発生する可能性があるとか。

ボクシングと同じぢゃな。
パンチを一発二発くらったところでたいした問題はない。
ぢゃけんど繰り返しもらっとるとダメージが蓄積され、いつの間にかパンチドランカーに。

今は平気でも後年症状が現れるちゅーのが怖いところぢゃな。
時限爆弾みたいに「その時」が来たらドッカーン!とかむっちゃおっかない。

アメフト、ラグビー、柔道などにも同様の危険性があるようで。


脳へのダメージで認知症のリスク?ヘディングと脳障害の関係性
http://news.livedoor.com/article/detail/14317469/

>「単回のヘディングでは一般的なCTやMRI画像で異常が見られなくとも、ヘディングの繰り返しで神経細胞に変性が起こり、ダメージが蓄積すると認知症のようになる可能性がある。慢性外傷性脳損傷と言うスポーツに特有な状態が、もしかしたらヘディングで起こるかもしれない」


いずれサッカーは「ヘディングの回数制限」を導入するんかな。
「1試合あたりヘディングは3回まで」とか。
「ヘディングを3回した選手は交代しなければならない」ちゅールールになったらサッカーはどうなるんかな。
将来、サッカーは今と全く違う形になるかもしれんの。

「スポーツって一体なんなん?」って思うわ。
本来スポーツって危険なもんなんよな。
サッカーや野球に限らん。
なのに。
人はなんで「スポーツ」をするんぢゃろうかな?
なぜわざわざ身体を壊すリスクを背負う?

人間って不思議な生き物よな。
スポーツをするのは人間だけ。
人間以外の動物はスポーツをせん。
動物にとってスポーツはエネルギーの無駄遣いでしかない。

なにかを得るためにはなにかを犠牲にせんといかん。
リスクをとらずしてリターンを得られるわけがない。
世の中のことはすべてそう。

「スポーツを楽しむには身体を危険にさらす必要がある」

「身体なんかどうなってもいい」ちゅー人しか心からスポーツを楽しめんのぢゃろうな。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

変化

<動画>「リズと青い鳥」大藤信郎賞受賞受賞で山田尚子監督 「本当に興奮する現場でした」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190218-00000001-mantanv-ent

> 劇場版アニメ「リズと青い鳥」の山田尚子監督が2月14日、カルッツかわさき(川崎市川崎区)で開かれた「第73回毎日映画コンクール」(毎日新聞社、スポーツニッポン新聞社主催)の表彰式に出席。同作が大藤信郎賞を受賞したことについて「大藤信郎賞という歴史のある賞を『リズと青い鳥』がいただけて感無量です。『リズと青い鳥』はアニメとして少女たちの物理的な動きを丹念に描き続けて、たくさんのスタッフと『ああだ、こうだ』と言い合う、本当に興奮する現場でした」と語った。


山田尚子という子は前髪を切ったほうがええよの。
長すぎる。
これぢゃとちょっとした拍子に毛先が目に入る。
危険ぢゃ。

髪の先が眼球を突き、角膜の表面に傷をつける

そこにバイ菌が入る

角膜潰瘍になる

前髪は目にかからんようにしたほうがええ。
映像の仕事しとるんぢゃから目を大切にせんといかんわ。

山田はなんかイメージ変わったの。
白いブラウスに黒のパンツ。
着とるもんがシンプルぢゃ。
それにハイヒール。

「山田尚子」で画像検索をして出てきたもんを見ると・・・山田が着とるもんはことごくと野暮ったい。
「山田のファッション=女子力が低い」
それが今回はちょっと違う。

山田はなんかあったんかな。
仕事かプライベートかはわからんけんど、何かがあって心境の変化があった。
それがファッションに現れとるとか。
自信が出てきた感じ。


http://kaini.jugem.jp/?eid=4925
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

人の話を聞く時はひとりで

はじける笑顔で「自殺防止」ポスターへの違和感 制作者に狙いを聞いてみた「正解はない、でも……」
http://news.livedoor.com/article/detail/16041227/

>グループを写していることも疑問です。みんなが同じ表情をしていることが同調圧力を感じさせ、『みんなの輪に入らないと』という圧力と同時に、『入れない自分の孤独感』を感じさせてしまいます


なにか悩みを抱えとる子は「独り」
ポスターに写っとる子は「7人」
顔の写っとらん子を含めると「8人」
「1対8」

ポスターのキャッチコピーは「ひとりじゃないよ。」
「ひとりじゃないよ。こっちにおいで。なにを悩んでるのか聞かせて」ちゅーことなんぢゃろうけんど、これぢゃ恐怖を感じて近づけん。

悩みを抱えとる子が「1人」なんぢゃから、ポスターの中の子も「1人」でええんよな。
そうせんと「対等」にならん。
相手と対等にならんと悩みを打ち明けてくれまい。

「1人対8人」と「個人対個人」
なんか悩んどることがある人間からするとどっちが心の中にあるものを吐き出しやすいか。
言わずもがなぢゃな。
人に言えん話、言いたくない話をするときは、いつだって「個人」に対してぢゃ。
「集団」に対して個人的な話をするのはストレスがたまる。

このポスターには相手に寄り添う気持ちがまるで感じられんのよなあ
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

「刺身」と「さく」

桜田五輪相「がっかり発言」で考える“切り取り報道”の罪 TV番組制作スタッフの本音
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190218-00556881-shincho-pol

>「最近、新聞記事やSNSの書き込みを報道番組やワイドショーが紹介する際、全文を映したり、読み上げたりすることが主流になってきました。これはミスリードを防ぐという意味で、とても価値ある取り組みだと思います。あおり運転や教師の体罰を撮影した動画などにも、類似の問題が起きることがあります。動画のノーカット配信も検討が始まっており、今後は“編集をできるだけしない”で放送するのが主流になっていくと思います」


一日は24時間しかない。
睡眠、食事、トイレや風呂、仕事とか勉強とか、生きるためにどうしても必要な時間を除くと、自由に使える時間があんまない。
世界には膨大なニュースネタがあふれとるが、そのすべてをチェックすることは不可能。
誰かが収集、選択、編集してくれんと、どこにどんなネタがあるんか、そのネタにどういう意味が、価値があるんかもわからん。

誰かとは誰かちゅーとマスコミ。
個人では限界があるけん、マスコミがある。

こっちは時間が限られとるんぢゃから効率よく情報を収集したい。
全文紹介とかノーカット動画とか困る。
切り取って報道せんかいと思う。

「素材をそのまま垂れ流すなよ。
『全体』はいいからあんたらが重要だと思ってる『部分』を指し示しな。
知りたいのはあんたらの切り口」

なぜその素材が選ばれたのか。
どうしてそういう切り口になったのか。

そういうことを考えさせるのがマスコミの使命。

マスコミがミスリードを怖がって「編集権」を放棄するようなことしてどうする?
視聴者の批判を恐れるとかヘタレにもほどがある。

「切り取り報道」をやめたらマスコミは存在価値ゼロぢゃ。
「全文紹介」とか「逃げ」でしかない。

「ニュース」は「鮨」みたいなもんぢゃ。

鮨職人は客に鮨を提供する。
マグロを柵のまま出すやつはおらん。
「どうぞ、ご自分で切ってお召し上がりください」
それぢゃと鮨屋として意味がなかろ?
それと同じ。
マスコミがニュース素材をそのまま視聴者に出すって怠慢としか言いようがない。
横着せんでネタをちゃんと切って、酢飯と一緒に握って出さんかい。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

こどもを「戦いの場」に送り込むこと

小学生年代で1日7時間、深夜まで。卓球、フィギュアの練習に思うこと。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190217-00833510-number-spo

>国際サッカー連盟の研究機関による調査結果も記憶に強く残っている。その内容を端的に説明すると、一流と言われる選手たちはその域に達するまでに約10年で1万時間の練習をしていること。幼児年代にスタートを切った選手に、それより遅れて始めた選手は追いつくことはないということが調査結果として発表されていた。


今のスポーツ中継、特に卓球ってなんか痛々しくて見とられんのよなあ。
子供がなんで鬼みたいな形相して戦わんといかんのかなって。

本人はたぶん楽しくやっとるんよな。

「わたしは卓球が大好き。
大好きだからなにも苦にならない。
練習は全然つらくないし、試合は楽しい。
勝ったときは本当に幸せ」」

本人はそうなんぢゃろう。
そうなんぢゃろうけんど・・・
こっちはそう感じられん。

囲碁の最年少プロ棋士もそう。
あの女の子は楽しくやっとるんぢゃろうけんど、見る方は「どうしてこんな幼い子が見世物にされるかなあ」と思ってしまう。

歌舞伎は小さな子どもが舞台に上がるわな。
あれはなんとも思わんのよ。
勸玄君を見ても「かわいそう」とは思わん。

勸玄君は「かわいそう」に見えんのに、卓球選手や囲碁の女の子は「かわいそう」に見える。
不思議ぢゃ。
なんでぢゃろうな。
なにが違うんぢゃろう。

後者はなんとなく搾取感があるんよなあ。
アイドルとおなじで、大人に都合よく利用されとる感じがする。
子供の意欲に付け込んどる大人の顔が透けて見え、で、「かわいそう」
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

失楽園

10代前半フィギュア女子、過熱するジャンプ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190216-00010000-jij-spo&p=1

>軽くて跳べていたところから、少しふくよかになるとバランスが悪くなって跳べなくなるケースが多く、メンタル的にも変わっていく時期をこれから迎える。


フィギュアってレスリングや重量挙げのように「体重別」にせんと不公平よな。
ジャンプは体重の軽い方が有利なんぢゃから。

体重が軽い≒年少

フィギュアは得点に占めるジャンプの割合が高い、いわば「ジャンプ至上主義」ぢゃから10代前半の子が活躍できるわけぢゃ。

フィギュアはかなりいびつな競技。
ジャンプ至上主義をやめてジャンプの点数を下げるか、体重階級制にするか、そうせんとフェアぢゃないし、10代の子の負担が大きくなる。
今のフィギュアは「若さが最大の武器」ぢゃから競技者は使い捨て。
二十歳前後になったら楽園を追われる

「さようなら。
キミはもういい。
体が大きくなりすぎた。
わたしたちが求めているのは女の子であって女ではない。
フィギュアの世界では成長は悪なんだよ。
ずっと子供のままでいて欲しかったが、キミは大人になってしまった。
残念だ」

10代の子を食い物にして、スケート連盟は鬼ぢゃと思う。

author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

「弱者」と「強者」

NHK「最後の良心」に異常事態 「ETV特集」「ハートネットTV」の制作部署が解体の危機
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190215-00010001-bfj-soci

>「文化・福祉番組部は、権力や権威になびかず弱者の視点にこだわり、NHKのテレビジャーナリズムを守ってきた。局内でも『ドキュメンタリーの牙城』『最後の良心』と言われている。なかには快く思っていない人もおり、これまでも度々、上層部と対立してきた」


「ハートネットTV」は結構見るけんど、あの番組を見とると「弱者ってなんなん?」って思う。

強いか弱いかは絶対的なもんぢゃない。
ゲームに例えると。
戦闘レベル100のキャラクターは強いぢゃろうか、弱いぢゃろうか?
答えは「どちらとも言えん」

レベル100のキャラはレベル1のキャラと比べれば強いと言えるけんど、レベル200よりは弱い。
強いか弱いかは比較によって決まる。

絶対的な「弱者」っておらんのよな。
人は他者との関係において「弱者」にも「強者」にもなる。
「弱者」「強者」は相対的なもん。

障害者や心身に重い病気を抱えとる人、性的マイノリティー、高齢者、家族とか近しい人から虐待を受けとる人、在日外国人、貧困などによる生活困窮者等々は一般的に「弱者」とされとるけんど、比べる相手によっては「強者」ぢゃ。
わかりやすいのは乙武ぢゃな。
あの人は生まれつき手足がなくてむっちゃ苦労しながら生きとるはずぢゃが、ある種の人間の目には「強者」に映る。

「わたしより恵まれてるじゃないか。
なにが弱者だ。
わたしは社会の最底辺で這いつくばって生きてるんだぞ。
わたしよりよっぽどいい生活をしてるのにどうしてあなたが弱者なんだ。
あなたよりわたしのほうがずっと弱者だ。
あなたの何倍も、何十倍も弱者だ!」

これに対して乙武がなんと言うたかちゅーと。


乙武洋匡「私の意見は障害者の総意じゃない」
https://toyokeizai.net/articles/-/159579?page=6

>乙武:もう私からしたら、「だったら、なればいいじゃない」のひと言ですね。そんなに弱者を強者だとうらやむなら、「実際にその立場になってやってごらんよ」と。たとえば私を強者だとうらやむのなら、「どうぞ、手足を切り落としてみてください」と。それで本当に「どうだ、これで強者だぞ」とドヤ顔できる自信があるなら、どうぞやってみてください。誰も止めませんよ、と。


社会には絶対的な弱者も絶対的な強者もおらん。
視点を変えれば弱者は強者になるし強者も弱者。
人間だれしも「弱者」と「強者」の両面を持っとって、どちらか一方だけちゅー人はおらん。
ぢゃけんど、案外それに気づかんもんで。

「ハートネットTV」はそういうこと考えさせてくれるんでええ番組ぢゃと思うんよな。
まあ、腹の立つことも多いけんど。

制作部署が解体されると方針みたいなもんが変わって番組の方向性自体変わるんかな。
それは残念ぢゃな。
author: 匿名希望
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

「死ぬほど怖い! 他人の心理大事典」

・死ぬほど怖い! 他人の心理大事典
齊藤勇監修 宝島社

読了。

考え事をする時、人は上を見る。
何かを思い出そうとする時もやっぱり上を見る。
なんで視線を上に向けるかちゅーと情報を遮断するためぢゃそうな。
視界にいろいろなもんが入ってきたらそっちに気を取られ、思考や記憶の糸を手繰る作業に集中できん。

心理学の本によう書いてある。
「人は嘘をつくとき、右上を見る」とか。
この本にもそうあったけんど。

ウソを考えるときに上を見るのはわかる。
が、「右上」ちゅーのがどうにも納得いかんなあ。
「右上」だけ見とってウソがつけるんぢゃろうか。

なにかを作るには「材料」が必要ぢゃ。
なんでもそう。
「ウソ」も例外ぢゃない。
ありもせん話をでっち上げるには元になるもんが要る。
作り話の元になるのは何かというと「事実」

人が「ウソ」を考えるときって、記憶をたどって「事実」に当たるんぢゃないかの。
真実味のあるウソをつくには、事実からかけ離れてはならん。
事実に基づかんウソは辻褄の合わんもんになり、相手にすぐばれる。

思い出しては考え、考えては思い出し・・・
記憶の照会と思考を繰り返してはじめて「説得力のあるウソ」「上手なウソ」ができる。

人がウソをつくときって脳がむっちゃ活発に動いとるけん、それに合わせて視線もせわしなく動いとりそうなもんぢゃが。
なんで右上固定なんよ?
author: 匿名希望
読了memo | permalink | comments(0) | trackbacks(0)
 
 

あ行

ミシシッピー・バーニング 愛と死の間で コーラスライン ストリート・オブ・ファイヤー